人間がより良く生きるために必要な英知とは何なのか。宗教を鍵に考える。
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人類の祖先クロマニョン人は、アクセサリーを身に着けて葬られていた。彼らは「死」「弔い」を理解していた。フランスの歴史家アリエスは「死者を葬送する唯一の動物」と人間を定義したが、葬送営墓は、数万年前の新人の時代から連綿と続いてきたのだ。
わが国で今、この常識が揺らぎ始めている。葬送問題に詳しいノンフィクション作家の井上治代さん(57)は言う。「少子高齢化で、先祖代々の墓を維持するという伝統はすでに幻想に過ぎなくなっている」
代わって、井上さんが取材先で目にすることが増えたのは、墓も仏壇も持たず、自宅に遺骨を安置する「手元供養」だ。夫に先立たれた妻が生前同様、「お父さん、今日、こんなことがあったんだよ」と話しかけ、故人の声に耳を傾ける。
「私のお墓の前で泣かないでください」と歌い出す「千の風になって」。その大ヒットは、現代の死者像が「たたる、恐ろしい霊」などでなく、「生者を優しく見守る隣人」に変容しことを示している。死者は墓にはいないし、死んでもいない、と歌は続く。
(2008年10月21日 読売新聞「日本の知力」 第5部 宗教で考える)
読売新聞「日本の知力」シリーズ
第5部 宗教で考える 1
今回の記事の中に、面白いことが書かれていました。
納骨不問の電脳墓地
納骨不問、そして電脳という文字と墓地という文字が並んでいる事に、私は違和感を覚えました。
記事を読んでいくと、電脳墓地とは、ネット上の仮想世界「セカンドライフ」内に開設された「メモリス島」の事。思い出の映像や文章を保存する事が出来るそうです。この島を運営する、メモリス社の兪 佳元(ゆ かげん)社長は、「墓や骨よりネット内に蓄積させた映像の方が『その人らしさを表現できる』と感じる人も多いのでは」と。
「セカンドライフ」はリンデンラボ社が運営する、世界で1000万人以上(2007年10月現在)が利用しているインターネット上の3D仮想世界。そして、その中の「メモリス島」では、お墓を建てることができ、お墓の形も自由自在に変えられるほか、リアルタイムでコミュニケーションをとる事ができ、命日に送信される供養メールによって、ユーザー達が「メモリス島」のお墓に集まり、話をしたり、偲ぶ会を開催することなどができるといいます。
インターネット上の3D仮想世界に建てるお墓、電脳墓地。
カルチャーショックです。時代の変化を感じますね。
また、功徳院東京別院、「すがも平和霊苑内」に建立されている、テレビ画面でお参りできるお墓「電脳墓~翔天~」が紹介されていました。「電脳墓~翔天~」は、装置に専用カードを差し込むと、遺影や戒名が呼び出され、お墓参りすることが出来るシステムです。納骨するかどうかは自由選択なのだそうです。
「葬送は型を離れ、仮想化、個人化へと拡散しつつある。死や弔いに対する人間の宗教的な心性はどこまで変容していくのだろうか。」
西洋史が専門の、印刷博物館長の樺山紘一さん(67)は、「過去から受け継いできた伝統や心性は、葬送儀礼を通して初めて次世代へと受け継がれる。」とその文化的意味を強調。
そして記事には、「人間が真に豊かな社会を維持していくのに不可欠な知のシステム。種としての生命のリレー。それこそが葬送なのだ。」と書かれています。
この記事を読んで、時代の変化に驚きました。
現代の社会では、個人の自由を求めるあまり、家族や親戚のつながり、地域のつながりなどが疎まれるようになり、薄くなってきたように感じます。葬送の型の変化は、時代の流れなのかもしれません。
しかし、記事に「生命のリレー」とあるように、私たちはご先祖様からのリレー選手であり、次の走者、子供と「生命」をつないでバトンタッチしていく、それが本来の生き方なのではないでしょうか。そして、その中で、ご先祖様のお墓を大事にしていきたい、そう思わずにはいられません。たとえ時代の変化に合わせて葬送のスタイルが変わっていったとしても、過去の世代、ご先祖様を粗末に扱ってはいけない。
私たちは時代の変化とともに、葬送の意義について考えていかなくてはいけないのではないでしょうか。
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